2013年11月24日(日) 紅葉の瀧原宮 (車、徒歩)
そして、熊野古道体験ツアー 三瀬の渡しから瀧原宮の最後の目的地は瀧原宮。国道42号里交差点から熊野古道へ入って歩いて来ると次の風景。前面には瀧原宮の宮域が迫ってくる。
熊野古道はこの瀧原宮の宮域を東西に分断している。その東側の角は瀧原宮とは一線を画した場所となっていて
足神が祀られている。石の表面はかなり複雑な形状になっているが、どうやってお祈りしたのだろう? 足をのせる?
足神さんにお参りを済ませると瀧原宮の宮域の間を進んだ。
かなり立派な木が多い。
前方が明るくなる視界は開けると瀧原宮はすぐ目の前だ。
宮域の入口で待機していると神宮司廳のワンボックスカーが参道へ参入し鳥居をくぐっていった。
瀧原宮にお参りする前に大台町ふるさと案内人の会の上野 進さんにより説明があった。
興味深かったことは歴史的な解釈の変化で由緒書きが変化していること、さらには瀧原宮と瀧原竝宮の御祭神がそれぞれハヤアキツヒコ、ハヤアキツヒメが祀られているする説があり、地元の中にはその説を信奉する方々があり、その証が瀧原宮前にある
秋津教會である。とのことだった。事実確認を怠っているが頷ける内容である。
まぁ歴史には正解はない、なぜなら勝者、強者が事実を歪曲している可能性は大であるから・・・。このような話は実に興味深い。 (今度、機会があれば当事者の話を聞いてみたい。)
解説が終わると鳥居をくぐり参道へ・・・、
橋を越えると
前方の紅葉が見ごとだった。
その手前で右の石階を下ると御手洗場へ。
この御手洗場は頓登川である。
川底には多数の木の実が落ちていた。
ここで、吉井貞俊さんの著書「お伊勢さん125社巡拝ものがたり」の瀧原宮・瀧原竝宮の章にある一節を思い出した。紹介しておこう。
ところで、この川の名称を「頓登川(とんどがわ)」というのは、何か神域の川名にそぐわないと思われるのだが、いかがであろうか。その南に流れる川は「祝詞川(のりとがわ)」と称されている。瀧原宮でもらった神宮司庁発行の案内書を見ても、どうも「頓登川」とは言いそびれている。
・・・
【参考】
御手洗場で心身を清めると反対側の石階を進み、参道へ戻った。
参道には背の高い杉は林立しているため参拝者はマイペースでは歩けない。それがまたいい。
なかでもこの杉は一見して別格である。この木の皮、天へ真っ直ぐ伸びるのではなく右巻きの螺旋となっている。
比較しようとパチリ。(少しわかり難い?)
そして、ついにお参りの直前、参拝順が示された立札の前での説明。
- 瀧原宮(たきはらのみや)
- 瀧原竝宮(たきはらならびのみや)
- 若宮神社(わかみやじんじゃ)
- 長由介神社(ながゆけじんじゃ)、川島神社(かわしまじんじゃ)を同座
(ここで示した順番は社殿の配置とは異なるので注意)
まずは全景をパチリ。左から瀧原竝宮、瀧原宮、そして右側の奥が若宮神社、手前が長由介神社。
説明板の順に参拝した。瀧原宮。
瀧原竝宮。
若宮神社。
若宮神社の隣にある新御敷地には板壁が設置されていた、後方では敷地の様子がちらり。整地されている?
最後に、長由介神社(川島神社を同座)
新御敷地との間には板壁が設置されていて、そろそろ御造営が開始されるのだろうか?こちらも楽しみだ。
参拝を終えると本日のツアーはほぼ終了、参道を戻って・・・
再び例の杉をパチリ。
宿衛屋の前では改めて紅葉を楽しませてもらった。
瀧原宮を後にすると
道の駅 奥伊勢木つつ木館前の駐車場へ向かった。その途中でも見ごとな紅葉、
実はこの道も瀧原宮の参道で駐車場に建つ鳥居は一の鳥居だそうだ。
ここからは案内人の方々が運転手に役割をかえてツアー参加者をツアーのスタート地点である道の駅 奥伊勢おおだいまで送ってくださった。
【 20131124 の記録 】
- 米山新田(伊勢市円座町)
- 常夜燈(度会町坂井)
- 「國束寺観音道 二十二丁」の道標(度会町坂井)
- 浄保法師五輪塔(多気町相鹿瀬)
- 三瀬谷神社(大台町佐原)
- 熊野古道体験ツアー 三瀬の渡しから瀧原宮
→ 地元の方々の尽力で復活した三瀬の渡し 動画あり
→ 紅葉の瀧原宮